●『別離』嘘をめぐる葛藤
『別離』は2011年のイラン映画。第61回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最高賞である金熊賞と、女優賞、男優賞の2つの銀熊賞の計3部門で受賞(Wikiより)。
アルツハイマーの父を介護する、比較的裕福そうな銀行員ナデルとそこへ働きに来た女性ラジエー。
両者の間に起きたあることが原因で、それぞれの家族を巻き込みながら裁判で争うことに・・・
イスラームが前面に押し出された映画ではありませんが、根底にはイスラーム的な規範があり、場面場面でその規範が重要となります。
特に「嘘」をめぐる人々の捉え方。
訴えられたナデルは自分に有利に裁判を進めようと嘘をついたことを娘に見透かされる。
その一方で訴えた側の貧しいラジエーとその夫もまた、裁判の示談金を受け取るか、裁判でついた嘘(といっても確信が持てない証言)を取るか、という選択肢を迫られる。
(写真は本編から引用 (C) 2009 Asghar Farhadi)
●イスラームにおける嘘
『別離』で見られる「嘘」をめぐる葛藤はイスラームに限らず一般的によくあることだと思います。
ただ、映画の中でもその「嘘」が目先のことのみならず家族にまで及ぶ「罪」や「天罰が下る」とされているように、イスラームでは「嘘をつかないこと」は単なる「個人の道徳」にとどまりません。
イスラームにおける「嘘」についてIslamReligion.comでは次のように説明されています。
イスラームでは、嘘をつくことは重大な悪であると見なします。神はクルアーンの中でこのように述べています。“またあなたは、自分の知識のないことに従って(言って)はならない。”(クルアーン17:36)預言者(神の慈悲と祝福あれ)は常に正直であることの重要性と、習慣的な嘘の重大性について強調しています。「正直さは敬虔さに、敬虔さは楽園へとつながります。人は神によって正直者であると記されるまで正直でなければなりません。嘘をつくことは逸脱につながり、逸脱は火獄につながります。人は神によって嘘つきであると記されるまで、嘘をつくものです。3 」
出典: IslamReligion.com http://www.islamreligion.com/jp/articles/26/
「嘘」は現世だけではなく「火獄」という来世の罰にもつながる「重大な悪」であることがわかります。
このような嘘にまつわる規範は普段の人間関係にとどまりません。イスラーム学者の中田考さんは、政治的に敵対する相手との関係においても、「自らの言葉を守る」限りにおいては、対話することが可能であると述べています。
イスラームはイスラームを絶対的真理、異教徒を価値観を共有しない敵と見做すが、さりとて、その価値観を共有しない敵を対話の成立せず共存が不可能な人外の存在と考え悪魔化することもない。(異教徒を敵とみなす、というのは中田先生らしい極端な表現ですね・・・)
むしろ、イスラームは、人が人である限り、つまり「言葉を話す存在」としての言語の内的ルール、「自らの言葉を守る(言葉の意味論的、語用論的、統語論的意味に忠実に約束を履行する)」という条件さえ満たす限り、対話による共存の道が開けている、と考えるのであり、それがイスラーム国際法の考え方なのである。
出典:中田考BLOG「イスラームにおける救済の境界と異教徒との共存」 http://hassankonakata.blogspot.jp/2016/11/blog-post.html)
私的な関係から国際的 ・政治的関係に至るまで、イスラームにおいて「嘘」は忌避されるもの、という規範が徹底されている。
実際にムスリム同士の日常会話の中でもしばしば「嘘はいけない」と言います。
映画『別離』では、登場人物の葛藤や感情から日常生活での「嘘」をめぐる規範が実感できると思います。
「誰が悪い」わけでもないどうしようもない苦しみや哀しみにあふれるとてもいい映画でした。
【『別離』予告編】
イラン人夫婦に訪れる危機を軸に、人間の複雑な心理と共に社会問題をも浮き彫りにし、ベルリン国際映画祭金熊賞などを受賞した人間ドラマ。『彼女が消えた浜辺』のイラン映画界の異才、アスガー・ファルハディがメガホンを取り、濃密ながら壊れやすい家族の関係を繊細に映し出す。娘のために外国への移住を決断する妻をレイラ・ハタミが、父親の介護のためにイランに残りたい夫をペイマン・モアディが好演。波乱含みの様相にさらなる秘密とうそが絡み合い、スリリングに転がっていく展開に心を奪われる。
http://www.cinematoday.jp/movie/T0012179配給: マジックアワー、ドマ
オフィシャルサイトhttp://www.betsuri.com (C) 2009 Asghar Farhadi
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